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明治21年7月15日16時55分、北会津郡長は至急の電文を県に打電しました。第一報から瞬く間に世界を駆け巡った大惨事。数日後にはイギリス「タイムス」が報道し、各国も続きました。

一瞬にして荒廃の地となった磐梯山麓で、15日夕方から役場、警察が救助活動、捜索を開始。21日には日本赤十字社が国内初の「平時災害救助活動」として医師3名を送り こみ、初の戦争以外の救護活動が実現しました。元会津藩士の次男、芳賀栄次郎ら帝大医学部大学院生は私費で駆け付け、郷土の人々を救おうと日赤治療班の治療を引き継ぎ、懸命の救護活動を行いました。

平成元年、毘沙門沼入口に噴火百周年記念の「日本赤十字社平時災害救護発祥の地」の碑を建立しました。

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日本赤十字社災害活動の碑1日本赤十字社災害活動の碑2日本赤十字社災害活動の碑3